眼鏡美人

いかりじろうの勝手な好みを言えば、昔から、つまり若い時から眼鏡をかけた女性は好きでした。勿論、眼鏡をかけていなければダメと言う意味ではなく、眼鏡をかけていても素敵な人は素敵、と言う意味です。 

 

しかし、かつて女性が眼鏡をかける事には偏見があり、女性は眼鏡をあまりかけない時代が続きました。「見合いで眼鏡を理由に断られた」、「受付嬢のメガネはダメ」とかいろいろあったようです。 

 

眼鏡はレンズを通して物を見やすくする装置ですが、その素となるレンズは紀元前700年頃のイラクで発見されているそうです。このレンズは水晶を研磨したもので視力の補助ではなくて、太陽熱で火をおこすためのもだそうです。レンズを使うと視力を補うことが出来るのを発見したのは、アラビアの数学者であり、物理学者、天文学者でもあったアルハーゼン(956頃-1038)という人だそうです。そして、13世紀頃になると視力を補う目的としての一番最初のレンズはリーディングストーンというもので、13世紀の中頃にドイツで、ある修道士によって発見されました。それは石英、または水晶できた平凸半球型のレンズで、物体を拡大して見る現在の拡大鏡(ルーペ)のようなもので、 本の上に直接のせて使用されていたと思われます。 

 

さて、眼鏡に対する偏見は徐々になくなっていますが、現在でも眼鏡を常用する方は男性が40%余りに対して女性は半分以下の23%程度です。これは女性が眼鏡と容姿、更には一部の偏見を気にしているためかも知れません。歴史的なことはさて置き、現在の一般的なメガネはレンズがプラスチック製です。ガラス(まん丸レンズ)に比べて、軽く、成形しやすいため、ファッション性が発揮しやすく、女性に取って眼鏡が使いやすい時代になって来た感じです。結論を言えば「眼鏡をかけている女性はなかなか素敵である」 別の言い方をすれば「眼鏡美人の時代」の到来です。 女性の皆さん、必要に応じて眼鏡を活用して、存分に個性を発揮し、活躍してください 

  

桐一葉風が頬ずりして行けり    小島とよ子 遠嶺

マスク美人

 

 

いかりじろうは以前、腰を痛めた関係で、最近は身体の調整のために、週に1回午前中だけですが、リハビリに通っています。コロナ騒ぎの最中なので、職員も来訪者も、全員マスクをしています。その施設は柔道整復師などの一部の専門職以外は殆どが女性の方です。皆さんなかなか魅力的な方が揃っています。全員がマスク姿になってしばらくして気が付いたのですが、マスクをしていると女性の皆さんの魅力が増すように感じます。何故かなと考えてみると、世阿弥風姿花伝の言葉を思い出しました。「秘すれば華(花) 」

 

マスクをすると顔の下半分が隠された状態、まさに秘すれば花の状態です。もともと魅力的な方が揃っていますが、マスクよって顔の半分以上隠されているのは想像力を刺激します。マスクの顔を世阿弥の言葉で表現するのは、恐れ多い気もしますが、隠されている部分の表情を想像することは「秘すれば花」になるのではないでしょうか?マスクの顔が「秘すれば花」になるのも、新型コロナのお陰かなと、一瞬思った次第です。 

 

ところが世阿弥を持ち出すまでもなく、マスク顔の伝説(都市伝説?)を思い出しました。 口裂け女」です。 大きなマスクをした若い女性が、学校から帰る子供に向かって「私キレイ?」と尋ねます。「きれい!」と答えると「これでも・・・?」と言いながらマスクを外します。するとその口元は耳元まで裂けている。また「キレイじゃない」と答えると包丁やハサミで切り殺されてしまう。 

 

この都市伝説は1879年当時、全国の小・中学生に非常な恐怖を与えパトカーの出動騒ぎや、集団下校が行われるなど、一時は市民を巻き込んだパニック状態となりました。事の発端は、197812月に(マスクだから冬?)岐阜県で噂が起こり、新聞雑誌で報道されて広まったようです。 翌年(1979/6)には姫路市若い女性が口裂け女の恰好をして包丁を持ってうろつき、銃刀法違反容疑で逮捕されると言う、おかしな事件も起こっています。 「口裂け女」の騒動は、夏休みに入り、子供の口コミが減るとともに、沈静化しました。怪しげな都市伝説よりも「秘すれば花のマスク美人」の方が、楽しくそして素敵です。 

  

  

 

今川焼き

 

今川焼きというのは皆様ご存知、小麦粉と餡を型に入れて焼いた大衆的なお菓子です。名前の由来は江戸時代中期の安永年間(1772~1780)江戸市内にかつて存在した竜閑川(戦後埋め立てられて現在は橋の名前が地名に残っておりJR神田駅近くの今川橋もその一つ)に当地の名主今川善右衛門が架橋した「今川橋」近隣の神田側に実在した神田西今川町や神田東今川町の店が、これらの焼き菓子を発売して高い評判を呼び、後に「今川焼き」が一般名詞化して広がったとされています。 小麦粉と砂糖と餡だけの単純なお菓子ですがその人気は全国に広がり安永年間から200年以上過ぎた現在も続いています。

 

発祥の地で今川焼きと呼ばれましたが全国へ伝わる過程では、地方や店ごと様々にいろいろな名前が付けられています。曰く、甘太郎焼き、義士焼き、太鼓焼き、太閤焼き、この辺まではなるほどと分かります。しかし、人工衛星饅頭(初の人工衛星を記念した?)、しばらく歌舞伎十八番のひとつ「暫」からとった名前?)、さらに「画廊まんじゅう」??となるとそれなりの経緯はあるのでしょうが名前からでは理解できません。という調子で名前を見るだけで面白く、また想像が広がります。 

 

中でも秀逸な名前が姫路の「御座候」(ござそうろう)です。「御座候」はいかりじろうが知る限りの素晴らしい商標の一つです。御座候は姫路本社ですが関連会社が商標(御座候)を所有しているようです。御座候の意味は「○○でございます」です。簡単で丁寧、更に歴史を感じさせる素晴らしいネーミングです。また、御座候を店頭で焼く作業の速さ、的確さ、無駄のない動きに感激した外国人が、その様子をYouTubeにアップしています。いかりじろうは時々神戸三宮の御座候の店で順番を待ちながら店頭の作業を見学(?)しています。

 

日本の職人、匠の精神と技術が素晴らしいことは柳宗悦「民芸40年」などにも詳しいところですが、200年以上の時を経て今川焼きも今では芸術の域に達しているというのは言い過ぎ、考え過ぎでしょうか?! 

編集後記 

約束の場所のぎんなん降りつづく   吉田康子 

夏を過ぎると、銀杏の季節です。 爽やかな銀杏の季節が待ち遠しいです。 

 

早急の運命

 

早急か早急かこれでは何のことか分かりません。仮名で書くと「さっきゅう」と「そうきゅう」となります。昔は「さっきゅう」が正解でしたが、戦後少しづつ「そうきゅう」と読む人が増え、現在では辞書にも「そうきゅう」とも読むと記されています。  

 

先日、水戸黄門のテレビドラマ(黄門は東野英治郎西村晃佐野浅夫など、その他助さん、格さん、おぎん、とび猿などのお馴染みドラマ)を見ていたら、劇中で黄門さまはあるセリフで「さっきゅうに」と言いました。ところがその相手役の侍は「そうきゅうに」と言ったのです。 さすが黄門さまは学があると感心しましたが、現実のセリフの書面はどうなっていたのか?いささか興味があるところです。おそらく黄門さまのセリフと、相手役のセリフで、早急(さっきゅう)と(そうきゅう)を書きか分けることはしないでしょうから、やはり、黄門さまは言葉遣いが正しいということだろうと思います。 

 

間違いやすい漢字には字には、「早急」「重複(ちょうふく)」「川柳(せんりゅう)」「貼付(ちょうふ)」などいろいろありますが、いずれも一癖(?)ある字体、間違えるが当たり前かなともと思います。勿論、これらの本来の読み方は永い漢字の歴史の中で確立してきたものですから、尊重すべきものですが、時代が移り、生活様式も変わり、更に外国語が次々入ってきます。例えばコロナ関連だけでも、クラスター オーバーシュート ロックダウン ソーシャルディスタンス 東京アラート等々あっという間に新語が広まりしました 

 

「早急」に代表される、これら漢字のこれからの読み方の運命を考えると、「川柳」は別として、他の漢字は早急(さっきゅう)⇒(そうきゅう)のような運命を辿るのではないかと思われます。勿論、いかりじろうが心配しても仕方ありませんが。新しい読み方が生まれても、それなりに、時代に合った座り心地の良い読み方になることを期待しています。尚、歴史と伝統を守る(?)NHKは早急(さっきゅう)で統一しているそうです。 

 

 

  

よく売るる不愛想なる風鈴屋     並木重助 

  

風鈴の音色と売り手の無愛想な関係ないかな?

夏の風物詩 雷

雷の季節が近づいて来ました。子供の頃、夏、自然豊かな田舎の川で遊んでいると、やがて夕方近く、山に雲がかかり、ピカッと稲光が光り始めると、子供達は一斉に川遊びを止めて家路につきます。夏の夕方には同じような光景が毎日繰り返される時代があったようです。昔から「地震・雷・火事・親父」といいますが、地震は季節を問わず、その怖さは別格、火事は耐火構造の建物が増えて様子が変わり、親父はすっかり権威が無くなって存在感が薄くなっています。 そんな中で時々、大きな存在感を示しているのが雷です。遠くでゴロゴロと聞こえている時は可愛い(?)ものですが、大きな建物に雷が落ちて、そして、たまたま、その中にいた時などは、すさまじい音と振動が響き渡ります。さすが、地震に次いで二番目に恐い雷様の貫録十分といった感じです。  

 

さて、江戸時代は寒かったという説があります。 事実、天候不順というか冷害というか、東北を中心に餓死者が出るほどの凶作の年があったようです。 現在は地球温暖化が叫ばれていますが、天候、特に気温の変化の波は時代ごとにあるようです。 昔、毎日のようにあった夕立ちと雷が減ってしまったのも変化の一つかもしれません。 

 

ちなみに、我が国で雷に打たれて亡くなる人の数は年に20人以上と言われています。交通事故などに比べると少ないようですが、身近に潜む危険であると言えます。この面で世界一はブラジルで、年間100人が落雷によって命を落とすとのことです。

 

雷の怖さは、思わぬ形で襲われるところにあります。昔、高校の下級生が家の窓際にもたれていたところ、突然の落雷をうけて、雨樋から垂れ下がっていた電線から側撃を受け、隣の部屋まで飛ばされて死亡した事件がありました。また、長野県の高校生が登山中に雷に襲われて数人が死亡する事件もありました。山の上では雷は下から来たり、横から来たりするそうですから、逃げようがありません。 

 

夏の風物詩といいながら、近づいたら恐い風物詩です。幸い、雷の予報も発達してきており、登山や屋外スポーツの際には十分に気をつけたいものです。雷というとゴルフが危ないとよく言われますが、実はゴルフよりも釣りの方が危険が大きいそうです。太公望の皆様は十分にご注意ください。 雷予報が進歩しているとはいいながら、文字通りの「晴天の霹靂」もあります。先ずは遠くでゴロゴロと鳴る音に注意しましょう。 

  

夏嵐机上の白紙飛び尽す   正岡子規 

  

雷が一緒に来たらさらに怖いですね。 

小判泥棒

まだ東京に住んでいた頃(昔)の話しです。当時、住んでいたのは、東京都目黒区駒場、東大の教養部の近く、電車だと、井の頭線駒場東大駅から歩いて間もないところです。そこは、ある家の離れで母屋は通りに面しており、風呂で裏の離れとがっているという構造で、離れは縁側で庭に面した、落ち着いた雰囲気の部屋でした。

 

ある時、昼過ぎの勤務中に母屋(つまり家主)から「部屋を散らかしたまま出掛けましたか?」と電話がかかってきました。聞けばいろんなものが部屋の中で山になっているというのです。「これは泥棒だと!」直感しました。当時、勤務先は神田でしたので慌ててタクシーを拾い駒場の部屋まで駆けつけました。部屋の中は、タンスや押し入れから取り出された品々が文字通り山となっていました。 幸い(?)貧乏暮らしで現金は置いてありませんでしたが、オリンピック(昭和39年東京大会)の記念硬貨と、会社から何かの表彰で、貰った金の小判を盗られていました。警察の話しでは、大変に頭の良いと言うか、記憶力の優れた泥棒で、どこへ何時、入って、いくら盗ったと詳細を全部覚えていたそうです。もしかしたら、場所柄、東大受験生(くずれ?)だったのかも知れません。 

 

さて、件の金の小判の後日談です。 警察から言われて、泥棒が売り込みに行った質屋へ行って事情を話すと、金額は忘れましたが、ある金額をお支払いしましょうと言うので、それで手を打ちました。 小判に未練もないし、現金の方がありがたいと簡単に思ったからです。

 

ところが、その後、また警察で話を聞くともっと交渉の余地はあった、つまり、私は、質屋の言いなりで損をしたということだったらしいです。そして、会社から貰った小判なので、一応会社に報告すると、会社の態度は「質屋の言うままに手放すとは何事か!」と言う感じです。どうも、小判の扱いが、会社への忠誠心の尺度になると考えていたようです。 

 

恋人から貰ったペンダントなら質屋から取り戻しますが、金とは言いながら、まがい物の小判で会社への忠誠心計るとはと驚いた記憶があります。小判泥棒のお陰で、いかりじろうは会社での評価が下がったのかも知れません。 

  

行水のすてどころなし虫の声    上島鬼貫 

 

虫も我々生き物の仲間ですね!! 

夏の花、夏の女

夏の花といえば、朝顔です。 

6月頃から咲き始めて、ほぼ白い色から、鮮やかな紫、赤紫、更には花を縁取る、あるいは放射状の筋が走るなど、様々な模様と相まって、いかにも日本の夏の彩りとして、他に変わるべきものがありません。 

 

朝はキレイに咲いて、やがてしぼんでしまうのも、残念な気がしますが、日本人の心に合っているように思います。 もっとも、朝顔は俳句では秋の季語だそうですが。 

 

さて、夏が似合う(?)女性というと、例えば七夕の主役、織姫を思い出します。 実際に存在した女性では 「朝顔につるべとられて貰い水」 と詠んだ江戸時代の俳人、加賀の千代女(ちよじょ)でしょうか。  

 

加賀の国、松任(現在の石川県白河市の生まれ、加賀の千代女はまだ、少女の時に加賀の国を通りかかった芭蕉十哲の一人、各務支考(かがみしこう)に教えを乞います。 ホトトギスという題を与えられ、一晩中次々に句を詠んだ挙句、夜明けも近くなり、支考に「それだ!」と認められた句が 「ホトトギス ホトトギスとて 明けにけり」 です。 やがて千代女は結婚して、子供が生まれますが、間もなく夫が病死、子供も亡くなり、独り身になります。 

「起きてみつ 寝てみつ 蚊帳の広さかな」 (※注) 

かつては夫と子供と川の字で寝ていた蚊帳の中が、一人寝の今は広く、そして寂しく感じる思いが、見事に伝わってきます。  

 

つるべも蚊帳も、現在の日本ではほとんど見ることもなくなりました。 しかし、つるべが「水道」あるいは「水栓」、蚊帳が「エアコン」では、様にならず、夏の情景も思い浮ぶことなく、情緒を感じることもできません。

 

この句に述べられている心情は現在でも変わることはありません。 日本人の心に残る、どこか懐かしい句だと感じています。  

 

※注 この句が千代女の作というのは俗説で、浮橋という遊女が詠んだ句と言われていますが、千代女の心情と夏の情景にぴったりだと思い、敢えてそのままとしました。 

 

編集後記 

向日葵の迷路なかなか抜け出せず     加藤弘一 

ヒマワリの背の高さは迷路にぴったりな感じです。