今川焼き

 

今川焼きというのは皆様ご存知、小麦粉と餡を型に入れて焼いた大衆的なお菓子です。名前の由来は江戸時代中期の安永年間(1772~1780)江戸市内にかつて存在した竜閑川(戦後埋め立てられて現在は橋の名前が地名に残っておりJR神田駅近くの今川橋もその一つ)に当地の名主今川善右衛門が架橋した「今川橋」近隣の神田側に実在した神田西今川町や神田東今川町の店が、これらの焼き菓子を発売して高い評判を呼び、後に「今川焼き」が一般名詞化して広がったとされています。 小麦粉と砂糖と餡だけの単純なお菓子ですがその人気は全国に広がり安永年間から200年以上過ぎた現在も続いています。

 

発祥の地で今川焼きと呼ばれましたが全国へ伝わる過程では、地方や店ごと様々にいろいろな名前が付けられています。曰く、甘太郎焼き、義士焼き、太鼓焼き、太閤焼き、この辺まではなるほどと分かります。しかし、人工衛星饅頭(初の人工衛星を記念した?)、しばらく歌舞伎十八番のひとつ「暫」からとった名前?)、さらに「画廊まんじゅう」??となるとそれなりの経緯はあるのでしょうが名前からでは理解できません。という調子で名前を見るだけで面白く、また想像が広がります。 

 

中でも秀逸な名前が姫路の「御座候」(ござそうろう)です。「御座候」はいかりじろうが知る限りの素晴らしい商標の一つです。御座候は姫路本社ですが関連会社が商標(御座候)を所有しているようです。御座候の意味は「○○でございます」です。簡単で丁寧、更に歴史を感じさせる素晴らしいネーミングです。また、御座候を店頭で焼く作業の速さ、的確さ、無駄のない動きに感激した外国人が、その様子をYouTubeにアップしています。いかりじろうは時々神戸三宮の御座候の店で順番を待ちながら店頭の作業を見学(?)しています。

 

日本の職人、匠の精神と技術が素晴らしいことは柳宗悦「民芸40年」などにも詳しいところですが、200年以上の時を経て今川焼きも今では芸術の域に達しているというのは言い過ぎ、考え過ぎでしょうか?! 

編集後記 

約束の場所のぎんなん降りつづく   吉田康子 

夏を過ぎると、銀杏の季節です。 爽やかな銀杏の季節が待ち遠しいです。