紙芝居

子供の頃の思い出で、紙芝居を見る値段(紙芝居のおじさんが売るお菓子などの値段)は、戦前、戦中は銭単位、戦後はインフレで物価はどんどん上がりますが1 円~5円、そして10円と高騰したことだろうと思います。紙芝居が一般的に見ることが出来た時代の最後の頃の値段はいくらくらいなのか、分かりませんが、5円なのか10円なのか、或いは30円なのか、今となっては分かりません。当時はラジオもない家もありましたから、子供達にとって、紙芝居はなくてはならない楽しみであったろうと思います。 

 

その後、昭和30年代後半、時代はテレビの時代に突入します。 当時、いかりじろうは既に貧乏学生で東京にいましたので、新宿駅前などの街頭テレビの人だかりを記憶しています。やがて、いかりじろう自身も就職、その会社が電機関連の会社であったので、割と早くテレビを買いました。勿論、カラーなどはなくて、 14インチの白黒テレビだったと思います。  

 

さて、紙芝居の時代で思い出すのは、紙芝居屋のおじさんが売るお菓子などを買わないと、紙芝居を見る事は出来ませんが、そのお菓子を買う事が出来なくて、つまり、家で紙芝居を見るお金が貰えなくて、紙芝居を見ていると紙芝居屋のおじさんから、追い払われたり、紙芝居屋のおじさんから、怒られない程度に遠くから、見ている子供がいました。例えわずかな金額でも、現金がないと紙芝居を見ることが出来ないのです。テレビならスイッチを入れれば映像を見ることが出来るのが、これが紙芝居との大きな違いです。

 

楽しみにしていた、そして友達も見ている紙芝居を、家でお金を貰えないばかりに、見ることが出来ない、その子供達にとってはどんなに悲しいことだったでしょう。しかし、現在でも日本は子供の貧困率は先進国の中では大きいと言われています。もしかすると、テレビは自由に見られても、貧困率の内容には高度に発展した現代社会では紙芝居時代とは違う深刻な問題あるのかも知れません。政府も、貧困率の改善に努力しているようですが、その成果は柾まだこれからのようです、将来の日本を担う子供たちが、貧富の差に関わらず、充実した成長過程を過ごして欲しいと願っています。 

 

編集後記 

さざれ石古刹のすみの彼岸花   森岡陽子 

フェンスの下のわずかな隙間に彼岸花が毎年咲きます。 律儀な花です。 

粉もん

「粉もん」と云えば大阪が本場(?)ですが、粉もんの範囲は広く、お好み焼き、たこ焼きから、ウドン、ソバ果てはパンケーキ、クレープ、タコスまで含まれるそうです。勿論、全国各地にはそれぞれ独特の特長のある「粉もん」がありますが、ここでは大阪のお好み焼きのお話しを。 

 

お好み焼きの名前の由来は昭和10年頃、それまで小麦粉のうす焼きのお菓子だったものを肉や野菜など好みの具材を入れるようになってからだそうです。更にその歴史をたどると、そもそもの始まりは茶道の創始者利休の頃に遡り、茶道のお菓子「麩の焼き」だそうです。 庶民の食べ物あるいはおやつ代表と云うべき、お好み焼きがその始まりを訪ねれば、利休が好んだ茶道のお菓子だったとは! 

 

利休が好んだ「麩の焼き」は小麦粉を水で溶いて平鍋に入れて薄く焼き、味噌を塗って丸めるという作り方です。 また味噌の替わりに刻んだくるみ・山椒味噌・白砂糖・ケシの実を入れたりしたようです。現在のクレープのような感じでしょうか? 

 

さて、いかりじろうが時々酒を飲みに行く大阪十三には「ネギ焼きのやまもと」と云う有名なお好み焼き専門店があります。取引先の社長に連れられて初めて行った時は、その繁盛ぶりにびっくりしました。夕方、早目に行っても既に満員、外に行列と云う事もあるお店です。その店に行けば、酒飲みのいかりじろうはお好み焼きを食べながら当然ビールを飲みますが、ビールだけを何杯もお代わして粘ったりすると「うちはお好み焼きの店です!」と追い出されるので注意して下さい!と連れて行ってくれた社長に言われました。

 

いかりじろうは時々お好み焼きを自分で作ります。 小麦粉、卵、キャベツ、ネギ、更に独自のレシピ(?)で肉ではなくて好きな「むきエビや海鮮ミックス」などを入れます。これらを入れる事で栄養のバランスも良くなり、更に美味しくなります。誰にでも簡単に好きな具を入れて、美味しく作れて、意外に歴史があって奥が深いのがお好み焼きの魅力でしょうか。次はお好み焼きの歴史を偲んで(?)利休が好んだと云う「麩の焼き」に挑戦してみます。 ホットプレートで簡単に作れるらしいです。 

 

編集後記 

絶対に甘柿と言う苗木買ふ    瀧 春一 

柿は甘柿と渋柿、この句の気持ち、良く分かりますね! 

人生二毛作

先日、たまたま梅雨の雨の中、出掛ける用事があったの、雨でなければ、得意の(?)電動アシスト自転車で行くところをタクシーを呼びました。 運転手さんはかなり年配の方なので、物好き且つ好奇心旺盛ないかりじろうは「運転手さんは相当のベテランですか?」と質問しました。 すると「既に、50年です」と言う返事。 話しはそれから始まりました。 

 

その運転手さんは魚釣りが大好きで、タクシー勤務の休日の多いのを活用して、週に45日(つまり休日は全部)は釣りに行くそうです。 タクシー業務は、一回の勤務時間が長い代わりに、休日が多いので、月に13勤務として週、45日くらいは好きな魚釣りに行ける計算です。 更に、明石に自分の船を持っている本格派です。 

 

明石は、街の中心に魚の棚(うおんたな)と呼ばれる魚屋が並ぶ通りがあり、まさに魚の町です。 釣った魚は魚市場で販売するそうです。 有名な明石鯛を始め、スズキ・チヌ・ハマチ更にタコに至るまで、高級業も釣れるので、このような高級魚は大阪や京都の料亭などからの買い付けで、良い値段で売れると言うことです。 しかし、それら高級魚は生きた状態で市場に出さなければならないので、その辺りに気を遣うそうです。 今年になってから、コロナの影響で、魚の売れ行きも芳しくないそうですが、それでも一日に一万数千円はあるようです。 

 

最近は、兼業や副業の話題が盛んです。 以前経済雑誌で人生二毛作と言う連載を読んだ記憶があります。 しかし中年になって転職する苦労が記憶に残っています。 それに対して、その運転手さんは、タクシードライバーを続けながら、趣味の魚釣りも50年、しかも利益を上げながら続けています。 二毛作どころか、一人で二つの人生を生きている感じです。 趣味で始まった生き方でしょうが、明石と言う地の利を得て、どちらが本業なのかわからない、あるいはどちらも本業ともいうべき、実に見事な生き方だと感心しました。 いかりじろうも真似したいのですが、海釣りの経験もなく、なにより年齢的に間に合わないのが、残念です(悔しい) 

  

下町の風情残して釣忍    稲畑廣太郎 ホトトギス 

夏の軒下には、釣忍がよく似合います。 

伊予の早曲がり

「伊予の早曲がり」と聞いても伊予(愛媛)出身の方以外は何の事か分からないでしょう! いかりじろうも初めは何の事だか分りませんでした。 ところが更に、名古屋走り、松本ルール、山梨ルール、播磨道交法といろいろ出てくると、車に乗る皆様はピンと来るのではないでしょうか? その通り、各地方の運転の癖と云うより、乱暴運転や危険運転を名づけたものです。 「伊予の早曲がり」は右折する車が信号待ちの段階で青信号になるのを見越してエンジンをふかし停止線を越えて、青信号になると同時に、あるいはその直前に対抗車より早く右折すると云う危険な運転を言うそうです。  

 

青信号での通行であっても対抗車の直進妨害になるし、大きな事故になりかねない危険な運転です。 各地の地名が付いていますが、とてもお国自慢にはならない中身です。 共通するのはいずれも、信号、通行区分、ウインカー等に関わる法規無視、あるいは勝手な予測などによる危険な運転です。 「名古屋走り」では交通信号の切り替わり前後に交差点へ進入する行為が「信号残り」と呼ばれ、黄信号にあってはためらいなく進入し、赤信号に変わっても状況判断によっては進入することが、名古屋走りの典型で、これを名付けて「黄色まだまだ、赤勝負」と言うそうです。 一方大阪近郊では(信号が完全に変わるのを待たずに発車する)見切り発車が多いそうです。 名古屋・大阪に隣り合う岐阜県三重県では出会い頭の事故が多い現象について、信号残り(名古屋走り)と見切り発進(大阪府近郊の走り)が混じり合う為であると云う交通工学専門家の意見もあるようです。何かうどんやそばのだし汁が地域によって違うのに似ています。 しかし、交通事故に直接かかわる問題ですから「アハハハ!」と笑っている場合ではありません。 何か救いや予防策はないかな?と探したところ、ありました。 「飛び出し坊や」です。 道路脇に飛び出し危険の表示と共に坊やが飛び出しそうな絵が描いてあるあれです。 

 

飛び出し坊やは、交通戦争が激化した約40年前、滋賀県八日市市社会福祉協議会が発案、地元の看板製作会社「久田工芸」が男の子型と女の子型の11体の飛び出し人形を製作、八日市市(現・東近江市)内に設置したのが始まりだそうです。 飛び出し坊やは現在、全国で作られ設置されていますが、漫画家みうらじゅん氏はこの元祖八日市型を0(ゼロ)形と名付け、滋賀県ではゼロ系のゆるキャラも作られていると云う楽しい話題もあります。 飛び出し坊やが生まれて40年、未だに悲しい交通事故のニュースが絶えません。 各地の勝手な走り、ルールは直に止めて欲しいものです。 

     

      万緑の中や吾子の歯生え初むる   中村草田男 
生命の発露、新緑の芽生え、我が子の歯が生え始める生命力、大きな生命と季節感を感じさせます。 

咬合力

咬合力と言っても、ピンとくる方は少ないのではないでしょうか?! 

咬合力とは、ものを食べる時の咬む力、つまり、顎の力です。 何故、咬合力などと言う、聞きなれない言葉を言い出したかと言うと、いかりじろうは歯医者で予てから、顎の力が非常に強いので、歯が摩擦で削れてしまう。 そして「部分入れ歯」も咬む力が強いので、補強を入れないと壊れて(折れて)しまう、と言われていました。 なぜ、そんなに並外れて咬む力、顎の力が強いのか、元々持って生まれたものとしか、言いようがないようです。 勿論、意識して顎の筋肉を鍛えたりしたこともないし、歯医者の先生に指摘されるまで、まったく意識したこともありません。 そもそも人類発展の歴史では顎の力が弱くなり、と言うか石器や火の使用などで柔らかい物を食べるようになって、頭蓋骨に張り付いていた強力な、顎の筋肉が不要になり、顎の筋肉から解放された頭蓋骨が大きく発達するきっかけとなったと言われています。 

 

そうなると、人並み外れて強力な顎の筋肉を持ついかりじろうは頭蓋骨の発達が心配になります(今更間に合いませんが!) 類人猿などでも剣歯が大きく発達しています。 大きな剣歯は食べること以外に、敵と戦うこと、敵を脅すことなどオスにとっては、メスを獲得するための、重要な働きがあります。 以前、台湾へ行った時に「牙医」と言う看板が目についたので、台湾在住の友人に訪ねたところ、歯医者のことだと言われなるほどと思いました。 肉食系の人は、牙医へ、草食系の人は歯医者はと言うのも、面白そうです。 そして、先日歯医者へ行った時、先生に、人並み外れて顎の筋力のある(咬合力が強い!)いかりじろうの頭蓋骨と言うか、頭の中身は大丈夫なのか、尋ねてみました。 すると、先生曰く「強力な咬合力が刺激となって、頭の中身もなお一層、良くなると思いますよ!!」と言うご返事を頂きました () 

  

ふるさとの畳と気付く昼寝覚     川崎妙子 

久しぶりの故郷の昼寝、良いものですね。 いかりじろうには帰って昼寝する故郷がありません(泣く) 

風雲急を告げる

「風雲急を告げる」と言う言葉は、滅多に使うことがありませんが、この度の新型コロナの騒ぎは、まさに「風雲急を告げる」と言う表現にふさわしい事態です。 「風雲急を告げる」は辞書で見ると「情勢が不穏で、大変動が起こりそうな状態であるのこと」と あります。 つまり、大変動が起こりそうな予感、不安、兆候などを感じて、恐怖にかられる状態だろうと思います。 

 

今回の新型コロナの騒ぎは、まさに戦後最大の「風雲急を告げる」事態でした。 「でした」と過去形なのは、幸い我が国は、死者も諸外国に比較して少なく、医療崩壊もなく、現在は第二波を警戒しながらも、緊急事態も解除され、いろいろと自粛すべきことはありますが、比較的落ち着いた状況にあると思えるからです。 しかし、我々の日常生活では、マスクは勿論、トイレットペーパー、ティッシュペーパー、の不足と言うか買占め、食品では免疫効果が噂された納豆の不足など、風雲急を告げる事態の恐怖心の表れだろうと思われます。 日本は地震や台風など自然災害の多い国ですから、我々も、災害などの時に比較的落ち着いて、冷静に行動する国民性であると言われます。 いかりじろうも、阪神淡路大震災の時に、コンビニで入店のために外まで長い行列を作り、静かに待っている人々を見て、驚きと言うか、感動を覚えたことを記憶しています。 

 

今回のコロナの蔓延はまさに「風雲急を告げる」事態です。 特に、ウイルスと言う、どこにいるのか分からない目に見えない敵を相手にする緊張感と恐怖感は、日常の感覚ではあり得ない恐怖を呼び起こすようです. そのような恐怖心によって、所謂デマが広まり、トイレットペーパーの不足などの事態が起こります。 しかし、いろいろ批判はあっても、専門家の指導と政治家の決断、そして国民の協力によって、医療崩壊を防ぎ、社会が落ち着きを取り戻したのは、ありがたいことです。 今回の、そして今も続いている「風雲急を告げる」事態は先を見通すことが出来ないこと、しかも、相手が目に見えないことによって、不安と恐怖感がさらに大きくなります。  

 

さて、最後に「風雲急を告げる」事態は起こらないのが一番良いと言うのが、いかりじろうの結論です。 

 

天災は忘れた頃にくる❢ 

箸置き

箸置きと言えば、居酒屋で割り箸の袋を折って、箸置きを作る経験は、多くの方がお持ちだろうと思います。 

 

箸置きの話しの、きっかけは、ある小料理屋へ行ったことを思い出したからです。そのお店へは以前時々行きましたが、行くと先ず、可愛い箸置きと箸が出てきます。そして、酒のつまみなどが出てきますが、その箸置きは可愛くて、丸く小さく、やや上に盛り上がった形なので、割り箸を、割ってから置こうとすると、箸の片方、あるいは両方が、箸置きから落ちてしまいます。 

 

箸置きは普通、いろいろな形はあっても、箸を安定して置くために、窪みがあります。しかし、その箸置きは可愛らしいのは結構ですが、箸を安定して置くことが難しくて、いかりじろうはつい、ママに言いました。「ママ! この箸置き、お箸をおくのが難しいね!」 その結果、ママの決断(?)で箸置きを安定した窪みのある箸置きに取り換えました。不安定であった箸にも、安住の地(?)が与えられたわけです。        

 

さて、箸置きの歴史など、いかりじろうは全く考えたことも、ありませんでした。 しかしせっかく、箸置きのことを書くのだからと、ネットなどで調べると なんと、その始まりは「箸置きの起源は古代から伊勢神宮などで使用されている素焼きの耳かわらけ」耳の形に似た焼き物の器だそうです。  「耳かわらけ」は神饌(供物、神様の食べ物?)に添える箸置きだそうです。ここまで知ると今まで何も感じなかった箸置きが急に恐れ多いものに思えてきました。

 

我々日本人の生活は、何気なく使っている箸置きに至るまで、古代からの歴史に繋がっていると思うと、古代の神様に恐れ多いと同時に、何か親しみを感じます。これからは割り箸の袋を折って作る箸置きも含めて、箸置きに対する興味が深まりそうです。 

  

一日は二十四時間夏至過ぎぬ   稲畑汀子 

夏の始まりの季節の区切りの日も、何もない平凡な日も、24時間ですね。 

時間は大切です。