小判泥棒

まだ東京に住んでいた頃(昔)の話しです。当時、住んでいたのは、東京都目黒区駒場、東大の教養部の近く、電車だと、井の頭線駒場東大駅から歩いて間もないところです。そこは、ある家の離れで母屋は通りに面しており、風呂で裏の離れとがっているという構造で、離れは縁側で庭に面した、落ち着いた雰囲気の部屋でした。

 

ある時、昼過ぎの勤務中に母屋(つまり家主)から「部屋を散らかしたまま出掛けましたか?」と電話がかかってきました。聞けばいろんなものが部屋の中で山になっているというのです。「これは泥棒だと!」直感しました。当時、勤務先は神田でしたので慌ててタクシーを拾い駒場の部屋まで駆けつけました。部屋の中は、タンスや押し入れから取り出された品々が文字通り山となっていました。 幸い(?)貧乏暮らしで現金は置いてありませんでしたが、オリンピック(昭和39年東京大会)の記念硬貨と、会社から何かの表彰で、貰った金の小判を盗られていました。警察の話しでは、大変に頭の良いと言うか、記憶力の優れた泥棒で、どこへ何時、入って、いくら盗ったと詳細を全部覚えていたそうです。もしかしたら、場所柄、東大受験生(くずれ?)だったのかも知れません。 

 

さて、件の金の小判の後日談です。 警察から言われて、泥棒が売り込みに行った質屋へ行って事情を話すと、金額は忘れましたが、ある金額をお支払いしましょうと言うので、それで手を打ちました。 小判に未練もないし、現金の方がありがたいと簡単に思ったからです。

 

ところが、その後、また警察で話を聞くともっと交渉の余地はあった、つまり、私は、質屋の言いなりで損をしたということだったらしいです。そして、会社から貰った小判なので、一応会社に報告すると、会社の態度は「質屋の言うままに手放すとは何事か!」と言う感じです。どうも、小判の扱いが、会社への忠誠心の尺度になると考えていたようです。 

 

恋人から貰ったペンダントなら質屋から取り戻しますが、金とは言いながら、まがい物の小判で会社への忠誠心計るとはと驚いた記憶があります。小判泥棒のお陰で、いかりじろうは会社での評価が下がったのかも知れません。 

  

行水のすてどころなし虫の声    上島鬼貫 

 

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