蒙古斑

モンゴルといえば現在の我国では相撲、モンゴル出身のお相撲さんが相撲界を席巻しています。歴史的にはチンギス・カンから始まるモンゴルのヨーロッパ侵攻。圧倒的な軍事力、行動力は馬と一体化したモンゴル軍の力です。モンゴルの兵士は馬の血を啜りながら走り続けたと言われています。 

 

その勇壮なモンゴル民族のしるし(Mongolian mark)が、赤ちゃんの時にお尻にある青いあざの様な物、蒙古斑です。我々日本人にも赤ちゃんの時に蒙古斑があります。多くのアジア系の人々は蒙古班を持って生まれてきます。アメリカの先住民にも蒙古斑があります。 13世紀のモンゴルのヨーロッパ侵攻の結果、ヨーロッパや北欧にもモンゴル人の血が混じり、蒙古班のある方が数は少ないですが、いるそうです。 

 

実は蒙古斑Mongolian mark)は、蒙古班のない国では虐待の証拠と考えられることがあるそうです。我国でも、児童の虐待は残念なことに相当な数に上る事は皆様ご存知の通りです。これは法律的・社会的に、児童虐待についての見方が厳しくなった結果、表面化する数字が増えた面もあると思いますが、幼い子供が親によって虐待を受けて、死亡する例もあるのは痛ましい限りです。

 

児童虐待に関する通報を促す「間違いでもかまいません!」というCMは、多くの方が見聞きしておられることと思います。実はいかりじろうの知人の子供さんも、間違いで児童相談所に通報され、突然、隔離されたことがあります。幸い十数日後に誤りと分かり、子供さんは帰って来ましたが、間違いで、或いは誤解で突然子供を隔離された時の親の気持ち、そして子供本人の気持ちは、想像することもできません。 

 

しかし、それでも「間違いでもかまいません!」というCMは虐待されている子供を救うためには必要です。我国では蒙古班が虐待の証拠と思われることはありませんが、明らかに虐待の証拠があっても、やがて児童相談所の判断で子供が親の元に戻され、引き続き虐待を受けて、その挙句死に至るケースが時々報道されます。

 

東日本大震災などの地震などの自然災害と異なり、児童虐待は手段を尽くして防ぐことが可能です。通報や報道が蒙古斑のように「結果として単なる誤解や間違い」で終わる世の中になって欲しいと願わずにはいられません。 

 

編集後記 

壇降りて貴賤なくなる雛納     鷹羽狩行 

お雛様にも雛段の時は、上下、貴賎それぞれの立場があるようですね(笑) 

凡人の生き方

現在は実力主義の時代だそうである。実力と云うほどの能力のない我々凡人にとってはつらい時代である。 

 

N氏はある小企業に勤めるサラリーマン、年齢は50代半ば、体形はでっぷりとした立派な重役タイプ、肩書きは営業部長である。N氏は高卒でその会社の創業者に採用され、以後忠勤一筋、二代目社長の下で現在に至っている。彼は体形は立派であるが残念ながら実力者とは言えない。交渉や企画は不得手、字は下手で文章も上手くは書けない。自分を採用してくれた創業者に公私の別なくひたすら忠勤を励んで来たのが彼の歴史である。 

 

時は移り実力を云々される時代となって二代目社長は彼の処遇について厳しい考えを抱くに至った。その時、既に引退していた創業者は自分に忠勤を励んできた N氏の将来を心配して自分の死後、N氏を定年まで雇用するよう遺言に記した。N氏は盆暮れや彼岸が近づくと創業者一家の墓の掃除をすると共に、彼が家庭菜園で自ら栽培した大きなトマト、キュウリなどを墓前に供えることを何十年と続けて来た。家の子郎党的な忠勤が創業者の心をつかんだ結果が遺言での雇用保障となったのであろう。

 

今やその創業者もこの世にないが、彼は無事に勤めを続けている。能力主義がもてはやされる時代にN氏を能無しとあざけるのは簡単かも知れない。かっこよくないし現代的でもない。  

 

しかし、格別の能力を持たない我々凡人にとって、これも立派な生き方ではないだろうか? 

先日、俳句関連の本を読んでいたら「行く春を近江の人と惜しみける 芭蕉」という句がありました。 日本人なら誰にとっても心地よい季節である春秋の「春惜しむ、秋惜しむ」という季語はあるそうですが「夏惜しむ、冬惜しむ」という季語はないそうです。 

 

江戸時代の俳人は「暑い夏や寒い冬」も風流にシャレて「涼しい、暖かい」顔をしていたのかと思いましたが、そうでもなかったようです。 暑いそして寒いつらい季節は、去る事を惜しむことなく「早く去ってくれ」という我々と同じ季節感であったようです。  

 

旧暦が新暦に変わったのは、明治5123日です。この時は122日の次の日がいきなり明治611日になったそうです。年末ですので、既に翌年の暦は印刷されていて、この法律によって既に印刷されていた暦は、紙屑になってしまったそうですこの暦の切り替えの結果、いろいろな物事や季節感が変化しましたが、大きな変化の一つは正月です。旧暦では文字通り新春であった正月が、新暦の正月は実際の気候はまさに厳寒の始まりで、春はまだ先になってしまいました。その結果、正月だけでなく暦と他のいろいろな行事の季節感が大きくずれることになりました。しかし、農耕などと結びついた行事は新暦に合わせる事ができず、例えばお盆などは現在でも旧暦で行う地方がほとんどです。

 

なぜこんなことが行われたのかといえば明治維新の結果、西洋に追い付け追い越せと富国強兵・殖産興業の掛け声で教育制度、軍制など大きく変わったからです。兵隊さんを象徴する「オイッチニ、オイッチニ」の腕を左右交互に振っての歩き方そして走り方が日本に根付いたのは、富国強兵の軍隊教育の結果だと聞いた事があります。その証拠に(?)江戸時代の火事や騒乱の時の絵を見ると、走っている人々は手を前に差し出すような姿で走っており、左右交互に腕を振って走る人などは描かれていません。

 

洋の東西を問わず、暦は権力者が支配してきた歴史があります。明治政府もその例にもれず、新しい暦を制定して国を支配しようとしたのでしょう。 学校の運動会で子供たちが一生懸命走る姿は楽しい光景ですが、その走り方が明治初めの富国強兵から始まったかと思うと、一心に走る子供の姿にも歴史の重みを感じます。

 

編集後記 

父の日の何処へも行かず誰も来ず      柴田良二 

母の日のプレゼントはクリスマスプレゼントを大きく上回る規模だそうです。 お母さんの人気が分かります。 それに引き換え父の人気は・ ・ ・ ・ ・?! 

母を訪ねて三千里

母を訪ねて三千里は、イタリアの作家、エドモンド・デ・アミーチス原作の物語で、イタリア ジェノヴァ出身の9歳の少年、マルコが出稼ぎに行ったまま音信不通の母を探しに大西洋を渡り、はるか南米アルゼンチンまで訪ねて、再会する話しですが、その辺りは、皆さまよくご存じだろうと思います。 映画やアニメにもなっており、ご覧になった方も多いことと思います。 

 

さて、いかりじろうの家族の話しで恐縮ですが、この話しは「母を訪ねて三千里」と名付けるには、余りにもささやかで、距離の比較で言えば「母を訪ねて500メートル」が本当の距離です。 

 

今を去ること数十年前、当時、いかりじろうは天下の奇祭として有名な愛知県小牧市田県神社近くに住んでいました。 少し離れたところには大縣神社があり、田県神社は男性、大縣神社は女性と言えば、ピンとくる方もいらっしゃると思います。 小牧市は日本初の本格的高速道路である名神高速道路の東の起点で工場や倉庫などが多く、関連の中小工場も周辺の市町村よりも多く存在するところです。 当時、いかりじろうの家内も住まいからほど近い(それが500m)小さい工場にパートとして勤めていました。 子供は3人、皆、小学生で上2人が娘、下が息子。 息子は当時、小学校1年生だったと思います。 小1の子供がいるので、子供の帰宅時間には家内も帰宅するようにしていましたが、時々間に合わないこともありました。 

 

そんなある時、息子は学校から家に帰ったところ、母親がいません。 そこで、何を思ったか「母を訪ねて500m」の旅(?)に出たのです。 単純な田舎の道ですから、迷うこともなく、母親が勤める工場へ辿り着きました。 息子が突然パート先へ訪ねてきたので、家内は驚いたようです。 そして、その工場の社長も少なからず驚いたらしいです。 そこで社長の発した言葉が「母を訪ねて三千里か!」 このタイミングで、この言葉。 まさに名言と言うべきでしょうか!? 

 

その話しを聞いて、いかりじろうは、社長の名言に感心し、そして、大笑いしました。 しかし、マルコより年少だった、小1の子供が「母を訪ねて500m」の旅に出る決意はどんなものであったのか? 勿論、その息子も今やいい歳のオッサンです。 

 

 

 

炊き込みご飯

日本の食事は永年、米飯が主食、そして一汁一菜という構成でした。 

 

江戸時代以来、白米のご飯は憧れの的で、日露戦争の時などは兵隊に行けば「白い飯が食える」という憧れも強かったようです。 しかし、白米中心の食事の結果、脚気にかかる兵士が続出、敵の弾に当たって死ぬより脚気で死ぬ方が多いと言われるような惨状を招いた事が知られています。 

 

今やそのご飯も主食の座が危うい状態です。いかりじろうもご飯(米飯)は大好きですが、糖質過多が気になりあまり食べません。ところが最近慣れぬ手つきで作っているのが「炊き込みご飯です。 

 

きっかけはインターネットの料理紹介サイト。そのサイトで「サバ缶を入れるだけ」という簡単な作り方を知りました。お米2合にサバ缶一つと出汁少々、更に切り昆布、きくらげ、あるいは納豆などを好みで入れます。 サバ缶は水煮、味噌煮、味付けなど、何を使っても美味です。 更に魚肉ソーセージを2~3本一緒に炊き込むとこれが(魚大好きのいかりじろうには)格好の酒のツマミになり、酒飲みには便利というか大変好都合です(笑) 炊き込みご飯ひとつで主食、副食、ツマミまで一度に賄おうという超横着発想です。 

 

今や一汁一菜あるいは一汁三菜という基本的な和食の形は崩れて、主食、副食、スープまで一緒に盛り付けるいわゆるワンディッシュ化が進んでいるそうです。 皿やお椀など食器の数も減り洗う手間が省けるのも魅力だそうです。 いかにも忙しい現代人の食事風景ですが、少し淋しい気もします。 いかりじろうは忙しいから、食器を洗うのが面倒だから「炊き込みごはん」を作る訳ではありません。 ご飯は大好きですが白いご飯のままでは糖質過多になってしまうので、いろいろ炊き込む事で美味しく、更に栄養も豊かにすることが目的です。 

 

有名なフランスの農学者ジョセフ・クラッツマンは、1970年(昭和45年)頃の日本人の食事を栄養学的見地からすれば理想的だと評したそうです。 食事の欧米化で日本人の体格も良くなり、国民病と言われた結核も大きく減少しましたが、いわゆる生活習慣病が増えています。 時には日本の食事の基本である「一汁一菜」の良さを思い出したいものです。 

 

編集後記 

花粉症の猫外出を控へけり     伊藤稔代 

人間も大変、猫も大変のようです! 

自転車操業

いかりじろう自転車の愛好者です。 住んでいるのは神戸の西のはずれに近く、海岸から直線距離で3km、標高おおよそ100m前後の、山と言うか丘と言うか、頂上付近です。 

 

海岸から3kmで標高100mですから、海岸からいきなり、かなりの急勾配を登ることになります。 住まいの近くには、平坦な道は殆どありません。 平らな場所と言えば、学校の運動場くらいです。 

 

自転車については、いろいろな思い出がありますが、中でも、北海道の見渡す限り畑が続く道路のバス停に(誰も盗らないので)鍵を付けたまま乗り捨ててある自転車(多分中高生の通学用?)を見た時の不思議な感激!(都会の自転車置き場とは全く違います)は何とも言えません。  

 

さて、現実に戻って、自転車操業ですが、借金をしながら仕事を続け、儲からないからと言って仕事を辞めれば倒産してしまう企業の状態を言います。 

 

誰が思いついた言葉か分かりませんが「自転車操業」とは、意味する内容は辛いことですが、表現としては、上手いというか、見事です。 似たような意味で、仏教から来た「火の車」と言う言葉もありますが「自転車操業」の方が具体的で分りやすいのは、自転車の庶民性(?)と言うか、身近な親しみやすさからでしょうか。 

 

中には、詐欺の一種としての自転車操業もあるようですが、ここで申し上げるのは当然ですが、真面目な仕事の中での自転車操業です。 

 

本物の自転車は足をついて休むことが出来ますが、自転車操業は止まって休むことも出来ません。 自転車操業の苦しさは、こぎ続けないと倒れてしまうこともさることながら、緩やかで気楽な適度な下り坂ではなく、苦しい登り坂でペダルを踏み続けることではないかと思います。  

 

コロナウイルスの影響で、自転車操業が増えそうですが、自転車は本来、身軽で扱い易く健康的な乗り物です。 「自転車操業」が身軽で健康的な、そして効率的な経営を表す言葉の時代になることを願っています。 

適当

 昨年、梅雨時でしたが、1週間ほど、入院しました 入院と言っても幸い(?)家からは病院が見え、病室からは自分の住まいが見えるという近いところで、同じ町内です。 それはともかく、入院して23日したころ、看護師さんから「適当と言う、お話しが多いですね」と言われました。 そこで考えてみると確かに「適当でいいですよ」とか「適当にやってください」あるいは「適当で結構ですよ」など、多少の言葉の違いはあっても「適当」を多用と言うよりは、乱用と言うべきかと思うほど、全て「適当」であることに気が付きました。 

 

「適当」は、本来、その文字が表す如く、目的や要求に応えることを意味しますが、「適当で結構です」など、適当ずくめと言うことは、相手任せで自分の判断を放棄した態度です。 先日もある女性から「適当でないと、やってられませんよ!」と言われましたが() この言葉は「日常の些細なことは、適当にやっていかないと、とても対応出来ない」と言う、主婦(母親)の本音かも知れません。 入院中で、自分の判断は、あまり必要なくて、相手が専門家の看護師さんだから、殆ど問題ありませんが、日常生活ではそうは行かない時があります。 「適当にやってください」と言ってから慌てて「適切にやってください」などと言い直すことは、多くの方が、経験済みかと思います。  

 

何故「適当」が本来の意味から外れてと言うより相反する「ほどほどに」「雑に」「いい加減に」などの意味に使われるようになったのでしょうか? ネットの広辞苑などによると、諸説ありますが軍隊用語から来ているのではないかと言う説が、説得力がありそうです。 戦時中の日本では、軍隊で武器を始め様々な装備品が準備してあり、厳重に管理されていました。 この装備品がしっかりと管理、整理されているか? 「装備品は適当か?」と上官が下官に尋ねることが度々あります。 その時に、下官が整備を忘れたことを隠すために「適当であります!」と返事をして、誤魔化していたところ、だんだんと「適当」が「いい加減」という意味を含むようになってきたという説だそうです。 大きな組織ではありそうなことです。 

 

日常生活で「適当に~」と言うのは多くの場合大した害もないでしょうが、武器をはじめとする軍の装備で「適当に・いい加減に」なっては、大変なことになりかねません。 これからは「適当」は注意深く「適切に」使うように心掛けたいと思います。 

 

編集後記 

クレヨンのカーネーション咲く母の日よ   秋山深雪 

本物のカーネーションに負けない素晴らしいカーネーションですね!!