母を訪ねて三千里

母を訪ねて三千里は、イタリアの作家、エドモンド・デ・アミーチス原作の物語で、イタリア ジェノヴァ出身の9歳の少年、マルコが出稼ぎに行ったまま音信不通の母を探しに大西洋を渡り、はるか南米アルゼンチンまで訪ねて、再会する話しですが、その辺りは、皆さまよくご存じだろうと思います。 映画やアニメにもなっており、ご覧になった方も多いことと思います。 

 

さて、いかりじろうの家族の話しで恐縮ですが、この話しは「母を訪ねて三千里」と名付けるには、余りにもささやかで、距離の比較で言えば「母を訪ねて500メートル」が本当の距離です。 

 

今を去ること数十年前、当時、いかりじろうは天下の奇祭として有名な愛知県小牧市田県神社近くに住んでいました。 少し離れたところには大縣神社があり、田県神社は男性、大縣神社は女性と言えば、ピンとくる方もいらっしゃると思います。 小牧市は日本初の本格的高速道路である名神高速道路の東の起点で工場や倉庫などが多く、関連の中小工場も周辺の市町村よりも多く存在するところです。 当時、いかりじろうの家内も住まいからほど近い(それが500m)小さい工場にパートとして勤めていました。 子供は3人、皆、小学生で上2人が娘、下が息子。 息子は当時、小学校1年生だったと思います。 小1の子供がいるので、子供の帰宅時間には家内も帰宅するようにしていましたが、時々間に合わないこともありました。 

 

そんなある時、息子は学校から家に帰ったところ、母親がいません。 そこで、何を思ったか「母を訪ねて500m」の旅(?)に出たのです。 単純な田舎の道ですから、迷うこともなく、母親が勤める工場へ辿り着きました。 息子が突然パート先へ訪ねてきたので、家内は驚いたようです。 そして、その工場の社長も少なからず驚いたらしいです。 そこで社長の発した言葉が「母を訪ねて三千里か!」 このタイミングで、この言葉。 まさに名言と言うべきでしょうか!? 

 

その話しを聞いて、いかりじろうは、社長の名言に感心し、そして、大笑いしました。 しかし、マルコより年少だった、小1の子供が「母を訪ねて500m」の旅に出る決意はどんなものであったのか? 勿論、その息子も今やいい歳のオッサンです。