先日、俳句関連の本を読んでいたら「行く春を近江の人と惜しみける 芭蕉」という句がありました。 日本人なら誰にとっても心地よい季節である春秋の「春惜しむ、秋惜しむ」という季語はあるそうですが「夏惜しむ、冬惜しむ」という季語はないそうです。
江戸時代の俳人は「暑い夏や寒い冬」も風流にシャレて「涼しい、暖かい」顔をしていたのかと思いましたが、そうでもなかったようです。 暑いそして寒いつらい季節は、去る事を惜しむことなく「早く去ってくれ」という我々と同じ季節感であったようです。
旧暦が新暦に変わったのは、明治5年12月3日です。この時は12月2日の次の日がいきなり明治6年1月1日になったそうです。年末ですので、既に翌年の暦は印刷されていて、この法律によって既に印刷されていた暦は、紙屑になってしまったそうです。この暦の切り替えの結果、いろいろな物事や季節感が変化しましたが、大きな変化の一つは正月です。旧暦では文字通り新春であった正月が、新暦の正月は実際の気候はまさに厳寒の始まりで、春はまだ先になってしまいました。その結果、正月だけでなく暦と他のいろいろな行事の季節感が大きくずれることになりました。しかし、農耕などと結びついた行事は新暦に合わせる事ができず、例えばお盆などは現在でも旧暦で行う地方がほとんどです。
なぜこんなことが行われたのかといえば明治維新の結果、西洋に追い付け追い越せと富国強兵・殖産興業の掛け声で教育制度、軍制など大きく変わったからです。兵隊さんを象徴する「オイッチニ、オイッチニ」の腕を左右交互に振っての歩き方そして走り方が日本に根付いたのは、富国強兵の軍隊教育の結果だと聞いた事があります。その証拠に(?)江戸時代の火事や騒乱の時の絵を見ると、走っている人々は手を前に差し出すような姿で走っており、左右交互に腕を振って走る人などは描かれていません。
洋の東西を問わず、暦は権力者が支配してきた歴史があります。明治政府もその例にもれず、新しい暦を制定して国を支配しようとしたのでしょう。 学校の運動会で子供たちが一生懸命走る姿は楽しい光景ですが、その走り方が明治初めの富国強兵から始まったかと思うと、一心に走る子供の姿にも歴史の重みを感じます。
編集後記
父の日の何処へも行かず誰も来ず 柴田良二
母の日のプレゼントはクリスマスプレゼントを大きく上回る規模だそうです。 お母さんの人気が分かります。 それに引き換え父の人気は・ ・ ・ ・ ・?!