現在は実力主義の時代だそうである。実力と云うほどの能力のない我々凡人にとってはつらい時代である。
N氏はある小企業に勤めるサラリーマン、年齢は50代半ば、体形はでっぷりとした立派な重役タイプ、肩書きは営業部長である。N氏は高卒でその会社の創業者に採用され、以後忠勤一筋、二代目社長の下で現在に至っている。彼は体形は立派であるが残念ながら実力者とは言えない。交渉や企画は不得手、字は下手で文章も上手くは書けない。自分を採用してくれた創業者に公私の別なくひたすら忠勤を励んで来たのが彼の歴史である。
時は移り実力を云々される時代となって二代目社長は彼の処遇について厳しい考えを抱くに至った。その時、既に引退していた創業者は自分に忠勤を励んできた N氏の将来を心配して自分の死後、N氏を定年まで雇用するよう遺言に記した。N氏は盆暮れや彼岸が近づくと創業者一家の墓の掃除をすると共に、彼が家庭菜園で自ら栽培した大きなトマト、キュウリなどを墓前に供えることを何十年と続けて来た。家の子郎党的な忠勤が創業者の心をつかんだ結果が遺言での雇用保障となったのであろう。
今やその創業者もこの世にないが、彼は無事に勤めを続けている。能力主義がもてはやされる時代にN氏を能無しとあざけるのは簡単かも知れない。かっこよくないし現代的でもない。
しかし、格別の能力を持たない我々凡人にとって、これも立派な生き方ではないだろうか?