今年(2020)は源氏物語が歴史的に確認されてから丁度?1012年だそうです。 源氏物語は世界最古の小説、日本が世界に誇る文化遺産ですが、余りに長大でいかりじろうは粗筋を解説した本しか読んだことがありません。
と云うわけで源氏物語を余り身近に感じたことはなかったのですが、数年前友人のところに遊びに行った時に面白い話しを聞きました。 その話と云うのは「源氏物語に出てくる帚木(ははきぎ)が実在する」と云うのです。 初めは「そんなバカな!」と思いましたが、友人は大真面目で案内すると云います。 早速彼の車で帚木(ははきぎ)を見に行きました。 場所は日本アルプスの南端の名峰恵那山の長野県側の麓(長野県下伊那郡阿智村)で昔の国名で言えば信濃の国です。 そもそも帚木(ははきぎ)は54帖と云う長い物語の第2帖の巻名です。 その帚木(ははきぎ)は遠くから見れば箒を立てたように見えるが、近寄ると見えなくなるという伝説の木だと伝えれています。 古今和歌集の坂上是則の歌「園原や伏屋に生ふる帚木のありとてゆけど逢はぬ君かな」で広く知られることになり、そこから、近づいても逢ってくれない人、逢えそうで逢えない人の喩えに用いられ、源氏物語では光源氏の逢えそうで逢えない相手として空蝉を指しているそうです。 ははきぎの「はは・母」の連想からまだ見ぬ母の喩えにも使われています。
さて、その帚木(ははきぎ)ですが、中央道園原(古今和歌集の地名のままです)インターから程近い月見堂の裏山にあるヒノキの巨木です。 残念ながら伊勢湾台風で倒れて(と云うことは50年程前までは源氏物語の帚木がそびえ立っていた訳です)現在は根っこだけが残っています。 この辺りは古の東山道の神坂峠にあたり月見堂は、その昔伝教大師が神坂峠の急峻さに驚いて旅人の難儀を救うために作ったと言われる非難小屋(広拯院こうじょういん)の跡と言われています。 と云うことは源氏物語よりも帚木(ははきぎ)の方が歴史が古いことになりますね。 紫式部は古今和歌集の坂上是則の歌から帚木(ははきぎ)の着想を得たのでしょうか? 源氏物語に出て来る帚木(ははきぎ)が、まさか現実に残っているとは思いませんでした。 近くには「義経駒繋ぎの桜」と言われる桜の巨木など多くの巨木があり、また極めて風光明媚はところです。 近くには昼神温泉もあります。 古今和歌集、源氏物語、東山道、伝教大師と歴史の話題豊富で雄大な自然の真っ只中、興味のある方には一見の値打ちがある勧めスポットです。
風吹けば来るや隣の鯉幟 高浜虚子
地方では川や谷で沢山の鯉幟を泳がせるイベントが増えているようです。 青い空に泳ぐ
鯉幟は我国の素晴らしい風物詩です。 少子化に負けずに続いてほしいものです。